2009年04月15日
サクラに重ねる出会い
桜花 咲きかも散ると 見るまでに
誰かも此処に 見えて散りゆく
巻十二の三一二九番、作者不明
まるでサクラの花が、咲いては散っていくようだ。
ここに現れるのはどういう人か。
知らないままに、やって来ては去っていくことだ。
人と人とのふれ合いは長い人間の一生の
人との出会いの縮図のよう。
いっせいに枝えだに花となって現れ
おびただしい落花となって四方に散らばっていくサクラ。
人間の出会いをサクラの花と同じだと見る万葉びとの
深くて秀明な眼差し。
夕刊の「万葉こども塾」
奈良県立万葉文化官長の中西進さんのコラム

4月9日から始まった駿府大茶会
煎茶、抹茶12の流派により6日間開催されました。
趣向を凝らしたしつらえともてなしを共有し、
一服のお茶をいただく。
偶然そこに居合わせた見知らぬ人々と時を共にするお茶席。
数十分の間ですが、そこで感じたことは何かしら自分の中に残ります。
私もいくつかのお席に入らせていただき、
お茶会にもこの歌のこころを感じました。
誰かも此処に 見えて散りゆく
巻十二の三一二九番、作者不明
まるでサクラの花が、咲いては散っていくようだ。
ここに現れるのはどういう人か。
知らないままに、やって来ては去っていくことだ。
人と人とのふれ合いは長い人間の一生の
人との出会いの縮図のよう。
いっせいに枝えだに花となって現れ
おびただしい落花となって四方に散らばっていくサクラ。
人間の出会いをサクラの花と同じだと見る万葉びとの
深くて秀明な眼差し。
夕刊の「万葉こども塾」
奈良県立万葉文化官長の中西進さんのコラム
4月9日から始まった駿府大茶会
煎茶、抹茶12の流派により6日間開催されました。
趣向を凝らしたしつらえともてなしを共有し、
一服のお茶をいただく。
偶然そこに居合わせた見知らぬ人々と時を共にするお茶席。
数十分の間ですが、そこで感じたことは何かしら自分の中に残ります。
私もいくつかのお席に入らせていただき、
お茶会にもこの歌のこころを感じました。
Posted by マルウチ at 13:02│Comments(0)
│茶道