2010年04月23日
紅茶ロマン
丸子は日本の紅茶発祥の地って、
知ってますか?
時は明治初頭、
長州征伐や五稜郭の戦いにも参加したという
幕臣の多田元吉は、
最後の将軍徳川慶喜と共に
江戸から静岡の地に配流されていました。
その後、慶喜から拝領した丸子の地で茶園を開墾し、
成功しました。
後に明治政府に招かれた元吉は、
1876年(明治9年)、インドの紅茶の生産地であるアッサム地方に派遣され、
インド式の紅茶製法を学びました。
翌年、アッサム茶の原木の種を日本に持ち帰りました。
その種をもとに、日本産の紅茶の普及に努め、
紅茶は日本の輸出品となり大成功を収めるのですが、
輸入の自由化で大打撃を受け衰退、
ついに生産はされなくなりました。
それからの長い年月、アッサムからの原木の子孫は、
丸子の山の中でひっそりと生息していたのです。
やがて丸子にも開発の波が押し寄せ、
原木が伐採されることになりました。
そのとき原木を救い
もう一度日本産の紅茶を作ろうと旗をあげたのが、
丸子に住む村松二六さんです。
村松さんは10年の歳月をかけ、
丸子紅茶の復旧に挑みました。
研究を重ねついに、
丸子紅茶として世に出したのです。
・・・という紅茶ストーリーがあるのです。

その丸子紅茶で作った羊羹と紅茶をセットにして、
静岡の特産品として売り出すことになりました。
パッケージも静岡の技術を生かしてということで、
創房荻須でデザイン・製造を手がけることになりました。
これはまだ試作品ですが、
これから本格的に生産していきます。
知ってますか?
時は明治初頭、
長州征伐や五稜郭の戦いにも参加したという
幕臣の多田元吉は、
最後の将軍徳川慶喜と共に
江戸から静岡の地に配流されていました。
その後、慶喜から拝領した丸子の地で茶園を開墾し、
成功しました。
後に明治政府に招かれた元吉は、
1876年(明治9年)、インドの紅茶の生産地であるアッサム地方に派遣され、
インド式の紅茶製法を学びました。
翌年、アッサム茶の原木の種を日本に持ち帰りました。
その種をもとに、日本産の紅茶の普及に努め、
紅茶は日本の輸出品となり大成功を収めるのですが、
輸入の自由化で大打撃を受け衰退、
ついに生産はされなくなりました。
それからの長い年月、アッサムからの原木の子孫は、
丸子の山の中でひっそりと生息していたのです。
やがて丸子にも開発の波が押し寄せ、
原木が伐採されることになりました。
そのとき原木を救い
もう一度日本産の紅茶を作ろうと旗をあげたのが、
丸子に住む村松二六さんです。
村松さんは10年の歳月をかけ、
丸子紅茶の復旧に挑みました。
研究を重ねついに、
丸子紅茶として世に出したのです。
・・・という紅茶ストーリーがあるのです。
その丸子紅茶で作った羊羹と紅茶をセットにして、
静岡の特産品として売り出すことになりました。
パッケージも静岡の技術を生かしてということで、
創房荻須でデザイン・製造を手がけることになりました。
これはまだ試作品ですが、
これから本格的に生産していきます。
Posted by マルウチ at 12:05│Comments(0)